家名を汚したら切腹

りょうぼう

2013年05月20日 03:53

 名門の家を継続していくことがいかに大変であるかは、庶民に理解できない。厳しい家訓があり、家名を汚すようなことがあれば勘当させられた。勘当は庶民でも同じであった。  
 名門の家には切腹の間があり、粗相(そそう)があれば場合によっては自害しなければならない。それが日本固有ともいうべき恥の文化であり、武士道であった。
 そのため、跡目を継ぐべき長男は、切腹の作法を教え込まれていたという。長男が亡くなったりすれば、次男がその役割を果たすことになる。要するに長男には格別の期待が寄せられ、待遇も違った。
 秀吉は関白の座を譲った次男の秀次を切腹させているし、家康は長男を自刃させ、正室を惨殺させた。家光は弟の忠長を切腹させている。  養子縁組みも、名門の血を絶やさないために行われた。跡取りがいない場合には、他家から新しい血を入れた。ただし、名門にふさわしい人物でなければならない。大名などでも、跡取りがない場合には改易(かいえき)といい、お家断絶となった。
 蛇足話をひとつ。徳川将軍家で、正室が産み将軍となったのは第三代家光ひとりだ(慶喜は一橋家の人間である)。幼少にして亡くなったケースも数多い。
 これには白粉(おしろい)に含まれる鉛分が影響していた。正室であれ、側室にしろ殿の寵愛(ちょうあい)を受けるために着飾る。生まれた子は乳母(めのと)が育てるが、母乳から鉛分を吸収することになる。美人薄命という言葉があるが、きれいに化粧する場合ほど鉛害にさらされる。これは、男性でも同じで、歌舞伎役者などはやはり短命であったとされる。

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