音楽のまちの音楽家

 浜松は楽器のまちであり、音楽の都を目指している。音楽教室発祥の地であり、楽器産業に従事している人も多い。音楽環境としてこれほど恵まれている地はないであろう。
 木下忠司(ちゅうじ)は、大正5年、浜松生まれ。映画監督の木下恵介の実弟である。浜松一中(浜松北高校)を卒業後に上京。武蔵野音楽学校で声楽を学ぶ。戦争で応召され、復員すると兄の紹介で松竹映画の音楽部員となった。これまでに関わった映画やドラマ音楽は600本を超える。兄・恵介の映画作品『喜びも悲しみも幾歳月』をはじめ、四五作品の音楽を忠司が担当している。テレビドラマの『水戸黄門』の主題歌「ああ人生に涙あり」も忠司の作品だ。
 豊田耕児(こうじ)は昭和8年、元浜町で出生。世界的なバイオリン奏者として知られる。父親の指導を受け、3歳6か月で初舞台を踏んだほどであった。その後パリに音楽留学し、ベルリンを中心に活動し、ベルリン芸術大学の教授を長年務めた。バイオリンの才能教育で知られる国際スズキ・メソッド音楽院の校長でもある。
 鈴木重子はジャズ・ボーカリスト。浜松北高校から東京大学法学部へ進んだという才媛。育ちのよさが何ともいえない魅力を醸し出す。映画『火星のわが家』で主演を務めた。高校時代にはロックバンドでベーシストであったとか。アメリカのジャズ界の名門・ブルーノートにて日本人初の舞台を飾った。
 黒田晋也(のぶや)はテノール歌手。信愛学園高校(浜松学芸高校)から国立(くにたち)音楽大学に進み、その後、二期会に属する。市民オペラ『三郎信康』で悲劇の武将・信康役を演じた。この台本を書いたのが渡辺成哉(せいや)(千葉大学教授)で、黒田の高校の先輩にあたる。筆者は、渡辺と浜松市学生寮で同じ釜の飯を食べた同窓だ。
 ジャズピアニストの上原ひろみは浜松出身で、現在は米国に滞在し活動中。6歳からヤマハ音楽教室で作曲を学んだ。20歳で米国のバークリー音楽大学に留学する。同大を首席で卒業し、日本国内でデビュー。平成16年の日本ゴールドディスク大賞で、ジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞している。パワフルな演奏が聴衆を惹き付ける。
 同じくピアニストの仲道郁代。昭和38年に仙台市で生まれ、浜松で育った。4歳からピアノを始めた。桐朋(とうほう)学園大学の一年時に、日本音楽コンクールのピアノ部門にて優勝。ドイツのミュンヘン大学に留学し、昭和62年のメンデルスゾーン・コンクールで第一位入賞など国際コンクールで活躍。妹の仲道祐子もピアニストだ。
 須川展也(のぶや)はサクソフォン奏者。昭和36年に佐賀県で生まれ、その後、浜松に移住した。浜松北高から東京芸術大学へ進学。第一回日本管打楽器コンクールのサクソフォン部門で第一位に輝き、プロデビューした。ヤマハ吹奏楽団浜松の第五代常任指揮者を務める。


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この記事へのコメント
はじめまして。

浜松出身の音楽家ということであれば、シンガーソングライターの相曽晴日さんも入れてあげてください。
Posted by Takeman at 2013年08月14日 11:30
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