赤い電車の遠鉄西鹿島線

 現在の新浜松駅から北部に伸びる鉄路が、遠州鉄道西鹿島線(正式名は遠州鉄道鉄道線)だ。新浜松駅から西鹿島駅までの通称・二俣街道沿いの約17㌔を運行する。市中心部と北部方面を結び、なくてはならない市民の足となっている。西鹿島線あるいは車両の色が赤いことから赤電とも呼ばれている。
 遠州鉄道の前身である浜松鉄道㈱は明治40年(1907)に発足し、その後、大日本軌道(浜松支社、遠州軌道、遠州電気鉄道と名称を変えた。昭和18年に、現在の遠州鉄道㈱となった。
 設立当初の運賃は一駅5銭であり、浜松~鹿島間は26銭であった。乗車定員は26人であったが、場合によってはかなりの定員オーバーもあったようだ。所要時間は、終点の鹿島駅まで一時間二五分であった。これはあくまでも時刻表によるもので、実際は二時間前後かかることもあったという。
 戦前・戦後のひところまでは、貨物輸送が好調であり経営の黒字化に貢献していた。旧国鉄(日本国有鉄道。現在のJR)の天竜川駅と同じように鉱石や紙、木材を運んだ。そのため、鹿島駅から天竜川の河原まで貨物専用のレールを敷いていたという。
 モータリゼーション(車社会)の進展は、公共交通としての電車の利用者を減少させることになった。昭和40年度における全国の中小私鉄一二七社のうち、三分の二は欠損を計上していた。遠鉄電車の経営合理化が進められた。貨物輸送も行ってきたが、昭和51年に貨物営業を廃止した。これは、旧国鉄・浜松駅の貨物取扱いが西浜松駅に移転することになり、連結が難しくなったことによる。なお、昭和40年代の貨物輸送で最もウェイトが高いのが石油類であった。
 鉄道の高架化が進められ、新浜松駅・助信駅間の事業は昭和60年に完了した。現在、助信駅から遠州上島駅までの高架化工事が進められている。なお、昭和50年ころには、高架化する案と地下にする案が市民の間でも議論されていた。浜松に地下鉄が走るという夢もあったが、結局は、費用の面から高架となったものである。
 現在、赤電の年間乗車人員は970万人(平成20年実績)であり、遠州鉄道のバス部門で退出路線が増加している中で電車部門は増加基調にある。
 天竜浜名湖鉄道とは、西鹿島駅での乗換えによってつながってはいる。かつてのように天浜線の天竜二俣駅まで乗り入れするようになれば、北遠地区の交流人口の拡大に寄与するであろう。個人的には、北遠地域にクラインガルテン(滞在型市民農園)をつくるべきだと考える。


同じカテゴリー(街道と運輸)の記事
浜松市営バス
浜松市営バス(2014-05-10 04:09)

乗合馬車
乗合馬車(2014-05-04 04:33)

ハーモニカ娘
ハーモニカ娘(2014-04-25 04:23)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
赤い電車の遠鉄西鹿島線
    コメント(0)