清貧の生活を送った海軍大将

 百武源吾は、明治15年、佐賀県の生まれ。葉隠武士の流れを汲む士族の五男である。海軍兵学校に進み、首席で卒業した秀才であった。
 百武は東郷平八郎の率いる連合艦隊の旗艦三笠の乗組員として、日露戦争の日本海海戦でも戦った。バルチック艦隊を完膚なきまでに駆逐し、奇跡ともいわれた。参謀は『坂の上の雲』(司馬遼太郎)で有名な、かの秋山真之(さねゆき)だ。
 その後、百武は海軍で出世コースを歩み、昭和12年、海軍大将になった。兄の三郎も海軍大将を経験していたので、日本海軍史上、兄弟で海軍大将となったのは百武兄弟以外に例を見ない。
 アメリカなど外国にも派遣され、米国の底力を熟知していた。日米開戦には最後まで反対の立場を崩さなかった。御前会議でもただひとり反対意見を述べた。そのため、海軍大臣として嘱望されていたが、逆に海軍を追放される。
 昭和20年3月、百武は九州帝国大学の総長に就任した。しかし、終戦と共に辞表を提出。知人のつてを頼りに、現在の北区都田町に移住した。63歳になっていた。当初は都田町の須倍(すべ)神社に仮住まいをしていた。間もなく庵(いおり)を結んだが、とても海軍大将、そして帝国大学総長を務めた人の住まいではなかったという。
 自らの手で田畑を開墾し、夜明けから日没まで農作業に明け暮れた。農家と同じように自給自足の生活に甘んじた。都田の人、自然をこよなく愛し、清貧の生活を送った。地元の人たちは、「今乃木さん」と呼んでいたそうである。最大級の賛辞といえる。
 何不自由ない生活を送れたはずなのに、あえて山中に隠棲した。94歳という天寿を全うし、百武は都田の地に骨を埋めた。
 この人こそ、本当の人間であり軍人ではなかったか。
 巻頭の「論語」の一説(省略)は、百武の晩年を思い描き挿入した。自身、かくありたいと願うからである。最後にこの話を書いて筆を置く。

 
  


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この記事へのコメント
そのような方がいたことを初めて知りました

まさに本当の軍人だと思いました
Posted by ハマコウ at 2014年12月14日 18:24
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