浜名湖の沿岸に打ち寄せるアオサ(藻草)は、環境面からやっかいものとなっている。しかし一昔前までは貴重な金肥(肥料)であった。この採取の権利をめぐり裁判にまでなっている。
明治14年のこと、庄内(西区、庄内半島)の八か村が原告となり、「村櫛村が勝手に他村に販売しているので差し止めをしてほしい」というものであった。
判決は大審院(現在の最高裁)まで持ち込まれた。結果的には、村櫛村の言い分が認められた。明治末期には、村櫛村の藻草の売上高は一万円あったというから貴重な収入源であった。
化学肥料が普及するまでは、下肥えが使われ、浜名湖周辺では藻草も重要な肥料であった。
以下は、おまけ話。村櫛にはかつて村営の共同酒場があり、今もコミュニティの場となっている。かつて貧しい漁村であったころ、酒飲みが多く、一日一合しか売らないようにしていたという。
イギリスなどに見られるパブを連想してもらえればよいであろう。