夢の五輪舞台で活躍した選手

 次は、アマチュアの祭典、オリンピック出場選手をあげよう。アマチュア競技者にとって、オリンピックに出場することは最大の目標である。
《水泳》
 まずは、水泳種目から始めよう。浜名湖や天竜川を抱え、当地の水泳環境は恵まれており名選手を輩出している。なお、フジヤマのトビウオ・古橋廣之進については、別項をお読みいただきたい。
 宮崎康二(やすじ)は大正5年(1916)、現在の湖西市生まれ。浜松一中(浜松北高校)在学中に、昭和7年開催のロサンゼルス・オリンピックに出場。100㍍自由形で五輪新記録を樹立し、800㍍リレー(第一泳者)でも世界新記録でそれぞれ金メダルを獲得している。
 杉浦重雄は、現在の南区飯田町の出身。旧制見附中学(磐田南高校)から早稲田大学に進学し、本格的に水泳を始めた。ベルリン・オリンピックの800㍍リレー種目の泳者として、当時の世界新記録で金メダリストになった。
 浜名湾遊泳協会を中心に、当時、遠州地方の競泳レベルは世界のトップクラスにあったといえる。
 漢人(かんど)陽子は、昭和49年生まれ。現在の西区雄踏町出身。浜松商業高校在学中から注目され、早稲田大学に進学。バルセロナ五輪の400㍍メドレーリレーにバタフライで出場。日本チームは日本新記録のタイムで、七位入賞を果たした。
 河合純一は、昭和50年、現在の西区舞阪町の生まれ。先天的な目の病気を抱え、15歳の時には視力を失う。92年のバルセロナ・パラリンピックから08年の北京大会まで五大会連続して出場。獲得したメダルは、金5、銀10、銅6個というメダル・ホルダーである。早稲田大学を卒業後、教員生活をしながら競技を続けてきた。河合の半生をドキュメントした『夢追いかけて』が映画化され、本人も出演している。
《スケート》
 冬季オリンピックに出場した伊藤亜由子は、昭和61年、東区長上地区の生まれ。10年のカナダ・バンクーバー冬季大会に、スケート種目のショート・トラック(ST)部門で静岡県出身選手として初の出場を果たした。浜松工業高校を経て、トヨタ自動車に所属。08年の全日本STスピードスケート選手権大会で総合優勝。09年の全日本選手権で総合二位となり、オリンピック出場を決めた。五輪での成績は、3000㍍リレーで日本チームを引っ張り七位入賞を果たした。次回のソチ・オリンピックでのメダルを期待したい。
《柔道》
 溝口紀子(昭和46年生まれ)は、柔道選手として五輪の舞台へ。福田町(磐田市)の出身。浜松西高校から埼玉大学へ進学。高校二年時、全日本選抜柔道体重別選手権に出場。当時十連覇中の女王・山口 香に勝ち、念願のチャンピオンになる。山口にあこがれて小学校四年生から柔道を始めた溝口であった。バルセロナ・オリンピックの女子柔道52キロ級で銀メダルを獲得した。フランス柔道界のナショナルチームのコーチなども経験した。
 さて、昭和39年開催の東京オリンピックには、郷土選手として七人が出場(候補選手を含む)している。『広報はままつ』は「いよいよオリンピック 郷土選手ガンバレ」とエールを送っている(昭和39年、第二四七号)。出身の町名、企業名などは当時のものである。
 陸上競技では、三段跳びの太田富夫(相生町出身、浜松商業・早大、大昭和製紙)、十種競技の鈴木章介(鴨江町出身、浜松商業・早大、大昭和製紙)。鈴木は、その後プロ野球の巨人のランニングコーチを長年務めた。短距離の100㍍種目には石川準司(鴨江町出身、浜松西高・中大)、同種目の女子で宮本悦子(和地町出身、西遠女子学園・中京大)、走り幅跳びで高柳 彗(可美村出身、浜松商業・日大、リッカーミシン)の5人が映えある出場を果たした。水泳では、背泳種目に大隈 潔(竜洋町出身、浜松商業・明大)、そしてバタフライの佐藤公子(磐田市出身、天理高校、日本楽器)が出場した。
 10月3日には、オリンピック聖火を迎える浜松市民の集いが市体育館で開催された。大勢の市民が選手を祝福し、聖火を見守った。
浜松航空自衛隊のブルーインパルスは、五輪マークを大空に描く練習を毎日のようにしていた。母校の北庄内小学校の校庭から、歓声をあげたものだ。猛特訓の成果により、本番で神宮の上空に見事なパフォーマンスを披露した。


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